瀧澤 卓郎 先生 

草創の思い出

NHKBS朝ドラ再放送で「あまちゃん」が放映されている。主人公の天野あきの母春子が、北三陸から歌手を目指して東京に旅立ったのが1984年(昭和59年)である。

 宮城県利府高等学校は1984年4月9日、県立全日制高校では71番目、県内公・私立合わせて実に100校目の高等学校として誕生した。

 同窓生の皆さんこんにちは。私は、利府高校旧職員の瀧澤と申します。昭和59年4月、利府高校創設と同時に利府町に移住し、早40年になります。創立当時は、橋本力校長先生始め教職員25名の中で、社会科教員としてよりも、主に生徒会や応援団創設、吹奏楽部と男子バレーボール部の創部にかかわりました。

 初代橋本校長先生によると、利府高校は二十一世紀に向けた高校として、生徒の持つ無限の可能性を信じ、最大限に生かしきる教育を念頭に、心と体の健康、規律と徳性を基本として「文武両道」をスローガンに学校づくりが行われました。今思うに、まさに草創期は部活動の強化に特化した意欲あふれる学校づくりの毎日でした。

 私は、平成25年3月、利府高校教頭を最後に退職後、町内に居住しておりますが、現在の利府高校の活躍を多方面から見聞きして感ずるのは、草創期の同窓生の献身的な学びと多くの活動が「今」を創り、支えていることに誇りを持たざるを得ません。創立40周年を迎えるにあたり利府高校の現役生徒・教職員はもとより、鴻志会の皆さんのご活躍とご発展を切に願います。

 結びに、本年4月9日(利府高校創設から39年目)、初代橋本力校長先生が永眠されましたのでお知らせします。95歳でした。合掌

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